年齢が重なると先の話を作り出すという作業が億劫になる傾向を避けられない。
自分の可能性を追求してゆくというより、子供たちのこと、周りの人々のこと、社会や世界のこととその焦点は、本人の探求の世界から次第に遠ざかってゆくことで、なにか気を紛らわせているような自分の姿を発見してしまう。
それだけ心が広いのかというと必ずしもそうではないのではないか。自分の中に訪ねて行っても出てくるものは、過去の体験からくる結果でしかなく、それは次の挑戦をしてゆくための踏み台となるような盤石なる基台ではない。
それでは青年のときに挑戦をするにふさわしい準備があったのか。むしろ何もないことが、挑戦するにあたっての刺激であって、何かがあってなしていったものではなかった。経験が次の道を開拓するというよりは、浅はかさ、無知、無思考が無謀さに拍車をかけ今の基礎とつながっていった。
運が良ければ、その結果は記念碑として残るけれど、どちらかというと後悔という名の墓石に名前を刻み続けたのが青春の実体ではなかったのか。ちなみに思春期を迎えた息子の姿は別に誰かの姿ではなく、自分自身の反映ではないかと思う。それにしても何を考えているのか、いや何も考えていないのか。いずれにしても自分の思春期を年長者が見たら同じような感想を持ってしまうことであろう。それが歴史は繰り返すというパターンの原型かもしれない。
こうやって考えてみると、不確かな踏み台の上に立ちながら、次の階へ昇ろうという試みが連続して綴られていったのが、歴史の本質ではないかというのは、極論と簡単には言い切れないのではないだろうか。太古の人々から現代人にいたるまで人間性の本質は時間の流れとともにどこまで進歩したといえるのだろうか。
人が嬉しかったり、悲しかったりする感情の世界において、どのような違いがあるというのだろうか。1000年前の人と現代人では嬉しいとか悲しいとかいう感情の基本が変わったのであろうか。昔の人に嬉しいという感情悲しいという感情はなかったとか、そんなことはありえないでしょう。ただ病気となって感情を失うという可能性はあるけれど、それは昔も今もかわらない例外でしょう。
もちろん、人の住む環境的要因は時代の流れの中で科学技術の進展とともに著しい変化をもたらしてきたのは事実だ。それを利用する人間が環境を良くして生活が改善していったということはありえるけれど、人間そのものの感情は基本的に変わるものではないでしょう。人は悲しいときには、泣くし、嬉しいときには笑う、苦しいときには、苦痛を感じるし、楽な時には快さをもつであろう。
こうして、人間の感情というものが、時間性や空間性(民族的相異や国民的相異など)にかかわらず共通するものではないのか。そういえば動物にも似たような感情があるなぁ。こうして世界は感情に満ちているのだなぁ。
自分の人生行路はほかの誰かとどこがどう違うのか。体験は異なるとしてもそれに臨んで反応する人は多少の違いはあるだろうが同じような感情パターンを執ってしまう。そしてそれが記憶として保存される。その蓄積が人生の形だ。
人生は想念の渦だ。その中で痛みに直面した時、ある者はその刺激が強すぎて持ちこたえることが出来ずに息途絶えてしまうこともあるし、ある者はその刺激を避けて逃避することもある。もちろんそれに耐え消化できるものは人生を全うしたものであろう。それでも体験に直面した時、持つ感情というものは、そうかわるものではない。消化するかできないかの違いで終焉を迎えるかどうかが決定する。
自分においても振り返れば人生の分岐点にさしかかり、選択を迫られる時は一度や二度ではない。そこになんらかの要因が働いて、今の選択肢にしたがっている。選択肢がかわり、体験が変わったとしてもおそらく自分は自分であってそれ以上でもそれ以下でもない。
そんな自分がこれから記録しょうとすることは、果たしてなんのためなのか。ある種の自己顕示欲(人の欲望にありがちな)なのであろうか。それとも、それ以外の何かがそうさせているのか。いずれにしても、このことは自分の心つまりは嬉しかったり、悲しかったり、そんな感情がベースにあって、それを表現をしょうとしていることはそれを痕跡としてとどめておきたいとする自認識からくるものであろう。
いままで、何か機会があれば、こんな試みもしてみたらと思うことは度々あったけれど、具体的に話を進めていったことはあまりなかった。今回これを進めてゆくのは、自分自身が先に述べたように未来へ意識を向けて行く意欲より、過去やあるいは自分の周辺に思いを寄せて行くことの方が、何か自然体でいることができる道のような気もするからである。そしてそれが平穏な心で居続けることができるようなので、ここに自分が体験してきたことを綴ってみたり、私の周りのことを覗き見ながら、勝手に自分の思ったことを書き下ろしてみることにしょう。
また、自分は九州の自然に育った。もちろん大自然の中でなどというような大それた言い方は出来ないが、内の子供たちが団地の中で育ってゆきながら体験する自然環境よりは少なくともワイルドで危険に満ちてスリルのある生活環境であった。今の子供らにそんな生活をさせることは、残念ながら九州にいても制限が多くて、昔のようではない。残念である。(もちろん時には死ぬか生きるかの瀬戸際の体験もあるので、同じ体験をしろとも言い難いのではあるが)
そこで、ここではついでに、自分が体験してきた青少年期の出来事なども書きとめて、せめて子どもたちに残しておくことも考えている。自分は10代までは九州での生活をしていたが、20代以降は首都圏を中心に時には関西圏ときには東北や北陸あるいは中部地域にまで足をのばし、残念ながらまだ足を踏み入れていないところは北海道だけで、ほかの地域(四国、九州そして主な島々まで)は制覇している。また30代になると渡米することになり、なんだかんだしているうちに7年の歳月をその地で生活することになる。その地でも大陸横断そして縦断をするなどした。そんな生活の中で体験していったことごとも記録に残しておこう。
さらに自分の同世代あるいはもう少し古い世代いわゆる団塊の世代という人々が、戦後高度成長期の日本の立役者となってきたわけである。今の日本はわれらが良かれ悪しかれ形づくってきた当事者だ。 日本を含むこれからの世界は願わくは、もう少し平安である社会であったらと思う。だからそんな願いも込めて、小言も言わなけりゃならないのかな。なにか言い続けていったら変化が起こるかもしれない。
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