2010年10月24日日曜日

potato,sweet potato,vegetable 31 

  昭和30年代はまだ終戦の波紋が収まらない時期であった。特に地方の田舎では、経済復興の影響はさほど急激には表れてきていないようであった。幼いころはすでに廃止されたはずの50銭玉を使って近くの雑貨屋で飴玉を1個買った記憶がある。
 地域の行事があるときに少し豊かな家庭が、ジュースを水筒に入れて家族で飲んでいる様子を横目で見るときがあった。自分の目にはその鮮やかな色のジュースがとても魅力的で、羨望の気持ちをじっと耐えていた。当時は普通水筒には水が入っているのであって、ジュースは入っていなかった。今でこそ店頭にありとあらゆるジュースが並んでいるが、このような状況を想像することは不可能であった。
 自分の郷里の周辺でも当時はsuger caneが栽培されていた。今でもOkinawaや奄美などの南方の島々でsuger caneは栽培され、加工して黒砂糖にしているが、当時は本土でも栽培がそれなりにさかんであったようだ。店頭にsuger caneが30cmくらいの長さに切って売っていた。
 食べる時は表面の固くてちょうど竹のようになった部分を端の方から歯で噛んでそのまま引っ張ると、中からjuicyな部分が表われてくる。一回り噛んで剥がしてしまうと、次はがぶりと口の中にほうりこみ、奥歯で何度も噛んでゆく。すると甘い液糖が口の中に搾り出されるのであった。
 時には歯の間に繊維がはさまって血がでるようなこともあったが、貴重なsweet資源として、好んで噛んでいた。

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