2010年10月1日金曜日

いもがら閑話⑨

小学校3年の時また一つ記憶に深く刻まれる出来事に遭遇している。ちょうど日本は東京オリンピックが開催された年であった。日本の高度成長期に突入するきっかけとなった国をあげてのイベントは、田舎にもそれなりの波及効果をもたらして行ったものである。
オリンピックの開催をカラーテレビで見ようという流行は、当時としては画期的な格安テレビ、ソニーの13型トリニトロンカラーテレビが発売された。
そこで新物好きの父は大枚をはたいて我が家でこのテレビを購入した。当時で9万円くらいと記憶しているが、物価水準からすると、今なら50型の液晶ビジョンを買うようなあるいはそれ以上のものを買うような高い買い物ではなかったかと思う。カラーテレビの魅力が決断を促したのではないだろうか。
ちなみに新物好きの性格は祖父譲りなのか、父は他にも何か新しい器械が現れると金もないのに購入していた。そのころを前後するが、祖父が購入したらしい大きなオープンリール式のテープレコーダーを祖母の家で見たことがある。かなり、初期のものではなかっただろうか。今あれば稀少価値のある骨董品ではないかと思う。そんな祖父の姿をみてきたのであろう。父は職業として工業高校の機械科の教諭になっていた。自分も父の姿を見てきたので、今でも、新しいガジェットを見つけると、強い興味を覚えて可能なら手元におきたいなどと思ってしまうし、構造はどうなっているのかと調べてみたくなるのである。
話は戻るが、アジアで初めてのオリンピック開催は敗戦から立ち直っていった日本の底力を象徴するかの出来事で、テレビのニュースを通して東京では環状線高速道路の建設が急ピッチで進められているということが報道されていたし、至るところで外国からの来客を迎えることを前提に建設ラッシュが続いていたことを覚えている。
そのように世の中が変化してゆく中でも、自然の脅威というものは、それとは全く別問題として突然として、やってくる。人間が技術の粋をもって築きあげた建造物であったとしても、自然の猛威のまえには、ほとんど無力に等しい。
自分がこの時に体験したものは、『えびの大地震』と呼ばれるものであった。えびのの近くの京町という地域が震源地となる、直下型の大地震であった。マグニチュード7.9と記憶している。震度で5.8位だったと思う。
それは小学校での授業の最中に起こった。まず遠くから聞こえる爆発音から始まった。ドカーンという異音に驚いていると、地面が縦に小刻みに揺れ始め、急激にまるで機関銃でも撃った如くに、ババババババという爆音とともに地面も建物も揺れ、居ても立ってもおられないような状態になってしまった。
地震の時はまず机の下で身を守れと普段から指導は受けていたものの、振動があまりに激しくて、そんな余裕もないまま身をなるがままに任せているしかなかったというのが実際であった。そんな激しい揺れが収まると、先生が「皆、急いで外に出ろ」と叫んだ。その命令に従って大急ぎで外へ走っていった。校庭には大きな木が一本あったが、そこを避難場所として移動している途中、今度は波は横揺れとなり、地面がまるで横向きにどこまでもどこまでも移動してゆくのではないかという状況になった。地面が揺れるということがどれほど恐ろしいものなのか、肌身で感じた瞬間であった。足元は固定しているということを信じて、普段生活しているわけで、それが根本から崩れて行くときの動揺はどう表現したらよいのだろうか。絶望的ともいえる心境であった。
時間の経過からすれば、そんなに長い時間ではなかったのかもしれないが、その肌で感じた地震体験は、心の深い所にどうしようもなく刻まれている。

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